喜界島の思い出

私は昭和33年生まれで昭和52年に高校卒業して島を出ました。
都会に出てからずっと小さい頃の記憶が不鮮明でした。ところが喜界島に行こうと言うビジネスを本腰で考えだした頃から思いっきり昔の記憶が蘇ってきました。まず鮮明に甦った記憶は、お正月です。オーバイと呼ばれる、神社の正月のお飾りと同じのを門にかざり、浜の真っ白い砂を庭に播きます。雪の代わりだと聞いたことがあります。親父が外の準備をするんです、幼い頃から一緒に手伝ってました。田舎の家で敷地が広いので正月飾りだけでも大変で、子供がやらなければいけない仕事もいっぱいありました。


そうなんですね戦前の日本の農村風景に出るような生活そのままです。
小学校1年の頃は電気も時間制限でしか使えないので、姉さんらはランプの下で勉強をやってました。私は小さかったのですぐに寝ましたが、毎日小学校から帰るとランプのホヤ磨きです。
小学校に上がった昭和40年、高校卒業した昭和52年、この間の喜界島の変化は凄まじいものでした。日本本土で昭和30年から40年にかけて起こった高度経済成長の変化が10年かかって喜界島にきたんですね。


喜界島は節句もしっかりやられてました。十五夜のお月見の時は、縁側に米粉で作った、ウマルムンと言う小さい月見団子を月桃の葉を敷いた皿に山のように盛って、二つのトックリに焼酎をいれ飾ります。トックリに紙を折った飾り蓋を作るのとウマルムンのつまみ食いが幼い私の楽しい仕事でした。夜の8時ぐらいになると親父の音頭で、焼酎のお神酒をいただいてウマルムンを食べました。親父がお月様に家内安全と無病息災を祈る言葉を口にしてましたが、子供なんでウマルムンを食べることだけに意識がいってました。農家なので両親が忙しくておばあちゃん子でした。ばあちゃんはめちゃくちゃ料理が上手で、喜界島伝来のお菓子をよく作ってくれました。喜界島はさとうきびの島なのでたっぷりと甘い砂糖を使ったお菓子文化があります。ヤチムッチーと言ってたパンケーキそっくりのやつは、何度再現しようとしても、お店で買っても、おばあちゃんが作った味にはなりません。フクリカンは黒糖のスポンジケーキです。ハシャームッチーは月桃の葉にヨモギともち米と黒砂糖で作った餅を包んで蒸した菓子でめちゃくちゃいい匂いでおいしいです。お味噌は毎年大きい瓶何個分も作ります。古い味噌はもう八蝶味噌くらい濃い色になります。


七夕様になると大きな竹に飾りをつけて庭に飾ります。子供が都会に出てもう長いことなるのに、両親が80歳を過ぎても七夕の飾りをしてました。必ず私が復活しようと心に決めてます。正月以外全て節句は旧暦なんですが、島遊びと呼ばれる旧暦8月の祭りは盛大でした。その日は学校も半ドンになって早く帰れます。夕方からお重にご馳走いっぱい詰めて浜辺に行って村中の人が楽しく踊ったり飲んだり食べたりします。私の家では喜界島で最後まで農耕馬を飼ってました。最も農作業はもうさせませんので、番犬がわりです。この馬は親父とお袋が農作業で帰ってくる耕運機の音を聞いたらいななきます。他の人の耕運機の音を聞いてもいななきません。
考えてみると日本の農村の原風景を実際に体験してたんだなぁと思います。

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